行政権と司法権とのねじれ現象はある

三権分立って何なんだろう。

三権分立の建前からすれば、行政権と司法権が異なる判断をする事は問題の無い事だろう。しかしお互いがお互いの判断を尊重し合い異なる判断をしないような運用がされなければ我々国民は混乱する事になる。本事件に関していえば、労働局需給調整事業の指導は確定したものだし、雇用保険法上の被保険者資格を有する事も確定したものだ。社会保険と厚生年金に関しても、今の段階(2017年8月末頃が再審査請求棄却以後の出訴期間最終日)では適法に確定している。各行政が使用者だと認定した被控訴人が該当の処分について争っているのならば、その結果を待つ事も一つの方法だろうとは思う。しかし本事件で大阪高裁が判決にてその行政判断に口を挟む権限はあるのだろうか。

もちろん、控訴審が何を言うのも独立した機関としては自由で許容された事ではあるのだろう。それでもあえて争点ですら無い行政の判断を失当だと表明する必用はあるのだろうか。本事件の控訴審が行政の判断を失当だと述べたところで、直ちに各行政の判断が覆る事は無い。各行政の判断を覆す為には、各々の法に則り行政訴訟によりその適否を司法権に委ね判断されなければならない。控訴人または被控訴人がそのような手続きを望んで初めて争点となるもので、本事件の控訴審が口出しすべき問題では無いと考えている。

裁判所が行政の判断に口出しが出来る場合とは、行政訴訟で当該行政判断が直接争点とされる場合のみでは無いのだろうか。他の事件において、いくら騒いだところで、その事によって行政の判断が覆る事は理論上有り得ない。繰り返すが行政の判断を覆す為に行政不服審査法が整備されているのであり、行政を被告にした行政訴訟が認められているのである。

それに対して、何ら現実的に、直接的に影響を及ぼさない、他の事件で、言及する事が許されるものなのだろうか。

冒頭で述べた三権分立の建前からすれば、行政権と司法権が異なる判断をする事は問題が無いとした、しかしそれは適法に適切な手続きの上で為されるべきもので、本事件のように行政の判断に関しては外野でしかない控訴審が判決で言及する事が健全な法体系だとは考えられないのである。

仮に明らかに行政の判断が誤りだとしても、その行政判断自体が争われていない法廷で、その行政判断を評価する事は司法権の奢りだと感じるのだが思い過ごしなのだろうか、無知なだけなのだろうか。

控訴審判決は労災認定を見落としている。

改めて大阪高裁控訴審判決の該当部分を見てみよう(19ページ下から3行目から)

(オ)なお、大阪労働局雇用保険審査官作成の決定書(甲11)、近畿厚生局社会保険審査官作成の決定書(甲14)、労働保険審査会作成の裁決書(甲16)、大阪労働局長作成の是正指導書(乙3)及び北大阪労働基準監督署労働基準監督官作成の是正勧告書(乙5)は、いずれも控訴人と被控訴人間の雇用契約を成立を認めている。
しかし、これらの諸判断は、もともと訴外A、訴外B、被控訴人、控訴人の関係が真正な順次請負関係であったことを適切に評価せず、被控訴人が当初から控訴人を倉庫作業に従事させるために訴外Bらのもとに派遣した事案と同様の見立てをしている点で失当であり、前記(ア)~(エ)において判示したことに照らして採用することはできない。

ご覧の通り、労災の業務起因性の判断のための調査復命書も証拠(甲33)として提出しているのだが、なぜかそれに関しては触れていない。

労災に関しては、被控訴人のみが、その責を負うものだとは考えてはいない。訴外A及び訴外Bも含めて安全配慮義務が生じ、連帯してその責を負うべきものだと考えている。(本事件の終結を待ち、別に提訴する予定だ。)しかし、当該調査復命書によれば、あくまでも被控訴人が使用する労働者として認定されているのであり、被控訴人との間の雇用契約を元に認定されているのであるから、その他の行政判断と同列に排斥すべきではないのだろうか。

単なる控訴審の見落としなのだろうか。だとすれば、あまりにも雑な扱いだと考えてしまい、この一節の必要性にますます意味を感じない。それとも他の理由があるのだろうか。

いずれにしても本事件で行政の判断が失当だと示唆されたところで、その事が直接行政の判断に影響するわけではない。もし、この控訴審判決が行政判断に直接影響するのならば行政組織を根幹から揺るがす事になると考えてしまう。

というよりも、この一節は全くの無駄であり、控訴審が、その誤った判断を正当化する為の威嚇・悪足掻きにさえ思えてしまい、司法権の乱用・越権行為では無いのだろうか。

補強されてこそ、排斥するなど有り得ない。

労働者性の判断に関しては、各行政への申告から一貫して、昭和60年労働基準法研究会報告(甲27)に基づき主張してきた、控訴審判決も労基研報告書を援用したと明示してはいないものの、おおよそそれに沿ったものとなっている、ならば行政により適法に確定した各種保険等の被保険者である事は採用されてこそ、その事を排斥するなんて事が許されるのだろうか。

もっとも控訴審判決は労働者性を補強する要素としての各種保険の加入の存否を検討してはいないが、過去の判例を見ている限りでは、比較的大きな要素となっているような感覚でいた。もちろん労働者性の判断基準としては、使用従属生が最大のポイントなのだろうが、各種保険の加入が何ら労働者性の判断の要素にならないとすれば、それはそれで画期的な判断だとも思える。