大阪高裁控訴審判決要旨は、結審直前の一部分だけを採用

結審直前の10行だけが、本事件を左右させた。

大阪控訴審判決の論旨は、本事件の結審直前の被控訴人の主張の一部のみを過大に評価し、それに基づき構成されている。

それまでの攻防を全否定するほどのやりとりが、どれほどのものだったのか、その全容をみてみよう。

まずは被控訴人の主張

1 本件事案の法的性質について、被控訴人は従前から「被控訴人と控訴人との間の請負契約」が成立している旨主張しているが、百歩譲って、本件事案が請負約ではなく雇用契約に基づくものであるとしても、雇用契約の相手方は訴外B(予備的に訴外A)である。
2 指揮命令
被控訴人に対して指揮命令を行っていたのは訴外Bおよび訴外Aである(訴外B代表者調書14頁以下、甲30号証5項)。
3 金銭の流れ
被控訴人は訴外Bが作成した計算書(甲3号証の1~25)をそのままの書式で使用し、控訴人に交付している。
要するに、訴外B(または訴外A)が控訴人との間で経済的条件を決め、訴外B(または訴外A)は被控訴人に対して手間賃を交付したにすぎない。この手間賃は運送業界の慣例(ある運送業者が他の運送業者に対して請負人をあっせん・紹介した場合に、あっせん・紹介を受けた業者が、あっせん・紹介した業者に一定額を支払い続ける慣例)にしたがった金銭給付にすぎない。
4 よって、控訴人と被控訴人との愛兄は、雇用契約は成立しておらず、雇用契約に基づく控訴人に主張は失当である。
以上

これは、平成29年4月13日付の、被控訴人の準備書面の最後の部分である。
これに対して、控訴人は同年5月19日付第2準備書面の中で、反論している。

しかしながら、被控訴人は控訴人の従事していた倉庫業務について、1時間1100円で計算された報酬を自ら控訴人に対して支払っていた。被控訴人が控訴人に対して発し契約終了の通知(甲1)も、自らの名義で行われており、その文面中、契約当事者が訴外Bないし訴外Aであることをうかがわせる記載は一切含まれていない。被控訴人が北大阪労働基準監督署や大阪労働局に提出した是正報告書(乙4、乙6)も同様である。
そして、本訴訟においても、被控訴人自身が認めるように、被控訴人は従前、自らが当事者として控訴人との間で契約(請負契約)を締結してことを主張してきた。
今になって、「被控訴人は契約当事者でなかった」などという主張を行うのは、あまりにお荒唐無稽な主張であり、到底受け入れられるものでは無いと言わざると得ない。

本事件は、その直後、同月30日に開廷された、口頭弁論期日で、あっさりと結審されている。

つまり、控訴審判決を見て頂けるとお解り頂けると思うが、控訴審終結時点で約40mmの厚みのある書面の中から、たったこれだけのやりとりを採用し、繰り返し繰り返し厚化粧してきたのだ。

結審直前に初めて登場した論理~今までの主張を反故にするもの。

この事件を表面化させ、口火を切ったのは、枚方職業安定所に被保険者資格確認請求を行い、同安定所が被控訴人に接触した時だ。ほぼ同時に枚方年金事務所にも被保険者資格確認請求を行っているが、同年金事務所の動きは緩慢としたものだった。

上記、被控訴人の主張にもある甲30は、枚方職業安定所と関係者との聴取記録がまとめられたものだが、それによると、遅くとも平成27年1月23日には同安定所と被控訴人は面談している。

また、控訴人の反論にあるように労働局需給調整事業部の労働者派遣法における派遣元としての是正指導書(乙3)が同年3月27日付で公布されており、それに対して同年8月31日付の被控訴人の是正報告書(乙4)においても同様の姿勢となっている。北大阪労働基準監督署からの労基法37条違反で為された是正勧告書(乙5)と、その是正報告書(乙6)も同様だ。

つまり遅くとも、同年始めには、仮に雇用契約で有ったとしても、訴外Bまたは訴外Aだとの認識は一切無かったものと主張している。

それから始まり、同年5月28日の提訴以降、法廷においても、被控訴人は、控訴人と被控訴人との契約関係はあくまでも請負契約だとの姿勢を誇示してきた。

それが、控訴審の終盤において、全く新しい論理を持ち出してきて、控訴審は時間を待たずに結審し、それを過大に採用した。

控訴人代理人によると、手続き的な瑕疵があるとの事らしいが、弁論主義にも反するもので、禁反故の法理にも背くものではないのだろうか。

被控訴人の主張を要約すると、「何らかの契約は有ったが、それはあくまでも請負契約で、もし請負契約じゃ無いのなら、契約はしていない。」そのような感じだろう。つまり被控訴人の「都合の良い契約なら認めるが、それを認めないのなら元々が何の関係も無かった事にしろ。」という事では無いのだろうか。

弁論主義および禁反故の法理とは。

弁論主義とは、民事訴訟における基本原則と考えられてはいるが、民訴法に規定があるわけでは無いらしい。あくまでも私的自治の原則に基づき、自分の有利になる主張は自分で主張立証しようね。という感じだろうか。

横浜ロード法律事務所のサイトによると

弁論主義の具体的内容として、3つのテーゼ(命題)があるとされています。
①裁判所は、当事者が主張していない事実を認定して裁判の基礎とすることは許されない(第1テーゼ)
②裁判所は、当事者間に争いのない事実はそのまま裁判の基礎にしなければならない(第2テーゼ。自白の拘束力。民事訴訟法179条)
①争いのある事実について証拠調べをするには、原則として、当事者が申し出た証拠によらなければならない(第3テーゼ。職権証拠調べの禁止とも言われます)

との事らしく、簡単に言うと、裁判所は当事者の主張しない、立証活動を行わない事を職権で調べる事は出来ないとの事だろうか。

本事件についてみると、確かに、当事者である被控訴人は、上記のような主張を行ってはいる、行ってはいるが、結審間近であり、提訴から何ら触れてきていないものである。被控訴人の主張はあくまでも請負契約であったとの事なので、それが実態として請負契約なのか何契約なのかが、本事件の争点であったはずだ。それを、そもそもの契約を無かった事にするなんて事は、卑怯と言うべきか、反則と言うべきか、公平性に劣るものでは無いのだろうか。

禁反故の法理とは、自身の言動を信じた相手方に対しては一定の法律関係が形勢されたものとして、それを翻すような発言は許されないと、そんなところだろうか。

本事件についてみると、前記同様で、控訴人と被控訴人との間には何かしらの契約が存在している事を前提に攻防が行われてきたはずなのに、そもそもの何かしらの契約すら存在しないと、この期に及んで持ち出すのは、提訴の時点、いや被控訴人と行政とのやり取りをも無視し、無かった事にしようとするものである。もっと俗な言葉で表現すれば後出しじゃんけんであり、屁理屈ではないだろうか、それを認めたのが大阪高裁控訴審判決である。

控訴人代理人によると、大阪高裁控訴審の訴訟指揮に問題があるとの事。
この事は、上告理由書の起案文にも、もちろん記述されている。